ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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びっくりするカウンセラー

南木曽町歴史資料館

この歴史資料館では南木曽町や木曽路の歴史、町並み保存運動、全国の町並みなどの資料を模型や映像を用いてわかりやすく展示している。

 

「南木曽町 蛇抜け」の画像検索結果

南木曽町では古くから土石流のことを「蛇抜(じゃぬ)け」と呼んで恐れてきた。

蛇が山をはって落ちてくる姿を例えた言葉だ。

 

 

現在でも蛇抜沢、押出沢、蛇抜橋などの過去の災害を物語る地名が数多く残っており、沢筋には大転石がやたらに目につく。同じ沢に山津波が40年に1度ずつやってくると言う。
  

明治以来、人々の脳裏に残っている災害はおよそ19回。中で最も大きかったのは明治37年7月(死者39人、流失家屋78戸)、次いで昭和28年7月(死者3人、流失家屋8戸)など。

 

近年は昭和40年7月、昭和41年6月(重軽傷者10人、家屋全壊流失38棟など)の災害がひどかった。
 これらの災害は、ほとんどが6月下旬から7月上旬にかけての梅雨前線豪雨がもたらす土石流によるものである。

 

「南木曽町 蛇抜け」の画像検索結果

1953(昭和28)年7月20日の土石流の犠牲者3人の霊を慰める「悲しめる乙女の像(蛇ぬけの碑)」が建っている。

流れ出した大岩の上に、像と碑文が刻まれている。

 

現在も土石流(蛇抜け)との戦いは続いている。

「南木曽町 蛇抜け」の画像検索結果

木曽の雄大な山々。

「南木曽町 蛇抜け」の画像検索結果

自然は素晴らしいが、時に大災害で人々を飲みこんで行く。

気軽に観光している自分を戒めた。

 

11月27日

ふるかわひであき

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