ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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暮らしに役立つ社会心理学 11

人間の持つ恐ろしさと醜さ

 

例えば、女性が夜中に男性に襲われた事件があるとします。

 

その時に、「そんな時間にそんなところをひとりで歩くのも悪いんじゃない?襲って下さいって言ってるようなもんだわ」なんて意見もあります。

 

「いじめた奴も悪いが、いじめられる側にも問題があるんじゃないか?」なんてのもそれに似ていますね。

 

このように、被害者はなにも悪くない場合にも「被害を受けるのは被害者にも責任がある」と考えられる傾向の事を「犠牲者非難」といいます。

 

また、自分が犠牲者を助ける方法を持たない場合に、犠牲者が人間以下の存在であるかのように感じることもあります。

 

そのことを「非人間化」といいます。

 

戦争中や人種差別が激しい時はこの犠牲者非難が頻繁に起こります。

 

いじめの傍観者の中には「あいつはいじめられても仕方のない奴だ」みたいな考えを持つ子がいます。

 

そんな子は、ふだんから悪魔のように意地悪な子であるということはありません。

 

むしろ心優しい子の方が「非人間化」を起こしやすいです。

 

その拡大されたものが、ナチスドイツの人種差別政策でした。

 

ユダヤ人は人種的に劣っているから全員抹殺されても仕方ないのだという、誤った信念からの暴挙ですが、当然ドイツ人の中にもユダヤ人を憐れに思う人もいたと思いますが、その多くがユダヤ人を「非人間化」していた可能性があります。

 

この「犠牲者非難」や「非人間化」は人間の持つ醜さの表れなのでしょうか・・・。

 

それがそうでもないのです。

 

むしろ人間の持つ優しさの表れとも取れるのです。

 

なんで人間は「犠牲者非難」や「非人間化」なんてむごいことをしてしまうのでしょうか・・・。

 

明日はそのことを考えてみます。

 

今日もブログに来ていただき、ありがとうございます。

5月29日

ふるかわひであき

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