水葬
理由はともあれ、犯人が誰であれ、彼女がうちの駐車場で亡くなったのは事実だ。
彼と約束をした私は、彼女をどのように埋葬するのが良いのか考えた。
水鳥の観察をしていると、年老いた水鳥が水の中で死んでいるのを時折見つける。
水鳥は水の上で暮らし、水の中で死に、水に帰っていくのだろうか。
土にかえるのではなく、水に帰る。
どの埋葬方法が一番ベストなのか分からない。
間違っているのかもしれないが、私は彼女を水葬にすることに決めた。
そうすることしか頭に思い浮かばなかった。
ビニール手袋をはめ、彼女を丁寧にビニール袋に入れ、穂谷川まで歩いた。
朝からの雨で穂谷川は増水し、その勢いは何もかもを本流の淀川まで押し流していた。
ビニール袋から彼女を出して、河原の砂の上に寝かせた。
ここに彼がいたら、彼女に何を話しかけるのだろう。
もしもこれが人間に起きた出来事なら、彼女を殺された男性は復讐を誓い、犯人を見つけ出し、仕返しをするだろう。
そんな彼に観客も共感し、彼の復讐を応援する。
みんな犯人の首をへし折ってやりたいと思うのだ。
そんな人間のドラマや映画は数知れずある。
仕返しをして納得する。
人間とはそういう生き物だ。
だけど鴨は違った。
仕返しなどしない。犯人を恨むこともない。
ただ状況を悲しんでその場から立ち去るだけ。
何のこだわりもない。
彼は確かに彼女を愛していた。
駐車場に横たわる彼女の前で、彼が最後に見せた行動がそれを証明している。
そこで私が見たのは、恨みや憎しみや復讐の決意ではなく、彼の「愛」だけである。
私の今の研究テーマと見事に一致している。
大きな宇宙の意思は、コロナウィルス、カルガモ、エアガンなど、ありとあらゆる形とメッセージで私に何かを伝えている。
まさにシンクロニシティ。
私は彼女に話しかけた。
私「君たちがうちの駐車場まで飛んで来て、私を呼んで伝えたかった意味がよくわかりました。本当にありがとう。決して君たちのメッセージを無駄にしません。多くの人に伝えます」
彼女の遺体を川に浮かべると、すぐに川が彼女を抱きかかえて運んで行った。
その姿は、まるで母親が自分の子どもを抱きかかえて行くようだった。
私はそれを見送りながら、般若心経を唱えた。
少しだけ、般若心経の神髄に触れられたような気がした。
(鴨の話はこれで完結です)
今日もブログをお読みくださり、ありがとうございます。
5月5日
ふるかわひであき