ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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神経症の人との接し方 18

防衛機制(続き)

 

神経症者は、一度自分自身を偽り始めると、辛い現実に直面することに対し、昨日書かせていただいた防衛機制を築きます。

 

彼らは、回りくどい反応(電車に乗れない、何度も手を洗う、特定のものを強く恐れるなどの神経症状)を保身の術にしようと工夫を凝らします。

 

つまり、症状という着ぐるみを着てつらい現実から自分を守っているのです。

 

そして、無意識にはさまざまな感情を持っていても、意識では何事もないようにふるまっています。

 

彼らはこの自分の無意識には気が付いていません。

 

昨日はその防衛機制である自己欺瞞の例を書きました。

 

今日は、「合理化」について書きます。

 

自分の行為が誰かに非難されそうなときに理由を準備することを合理化と言います。

 

例えば、自分の子どもにヒステリックに登校をうながす神経症的衝動を持っている母親は、父親から「ちょっときつく言いすぎなのではないか」と批判されたときに、「わたしはこの子のために、良かれと思って学校へ行かせようとしているのよ」と主張することがこれに当てはまります。

 

登校をうながすこと自体はそんなに間違った行為ではありませんが、その心の裏に「子どもを学校に行かせられないのは親の責任である」「子どもが学校に行かないとわたしが批判されるかもしれない」という強迫観念が働くと、本人は気づかないのですが、周囲から見るととても尋常とは思えない声のかけ方や、ときに体罰に及ぶような行動をとります。

 

他にも、児童ポルノ雑誌を集めている教師が、ただ乳幼児の性の科学的研究のために集めているのだと主張することも合理化の一つです。

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

7月3

ふるかわひであき

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