ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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発達障害

障害受容

 

よその家の子どもが発達障害とわかり、親がいろいろ悩んでいる姿をみると、

「障害があることを受け入れて(障害受容)、ありのままの子供を認めてあげるしかないわね」とアドバイスをしたくなる。

 

何も間違っていないし、そうする以外に方法はなさそうだ。

 

しかし、これが我が子の事となると話が変わる。

 

誰かに言える事と、自分が実践できることは別物なのだ。

 

自分の子に発達障害があることを認めるのには、膨大なエネルギーが必要となる。

 

発達障害の特長は乳幼児期から出始める。

 

「視線が合わない」「抱っこしたら嫌がる」「言葉が遅い」「他の子と遊ばない」

 

このあたりから何となく不安が胸をよぎる。

 

「ひょっとしたら、うちの子・・・」

 

発達障害の特長が一番目立ってくるのは、小学校に入学してからだ。

 

「じっと座ってられない」「覚えられない」「友達にちょっかいを出す」「教室から飛び出す」「勉強が理解できない」

 

これらの行動は、学校から家庭に伝えられる。

 

この連絡は母親にとって多大なストレスとなる。

 

毎日我が子のネガティブなニュースを聞かされると、だんだん笑顔が消えていく。

 

そのうちに発達検査が薦められ、その結果により、普通学級から支援学級へ変わることを打診される。

 

ここで親に迷いが生じる。

 

「普通学級」か「支援学級」か。

 

自分たちの選択が、子供の将来に大きく響く可能性があるのではないかと思うと、おいそれとは決め難い。

 

また、自分たちの親(子どもの祖父母)の意見も入ってくる。

 

祖父母世代の持つ支援学級のイメージは、昭和の特殊学級のイメージのまま止まっていることが多い。

 

地域によっては、まだまだ支援学級に対する偏見が残っている。

 

学校からは支援学級を薦められ、祖父母からは絶対に反対される。

 

来る日も来る日も、我が子のトラブルの報告は絶えない。

 

そこにもうひとつの大きな壁が加わる。

 

それは「世間体」だ。

 

それまでは世間体など気にもしなかった人が、我が子の障害に関して、自分の中にある世間体に対する思いの強さに驚くことも多い。

 

世間体など気にしないと言う人の多くは、世間体など気にしなくて良い状況にある人である。

 

ひとたび世間体が気になり始めると、ズブズブと泥沼にはまるように、そのことから心から離れなくなる。

 

「学校からの連絡」「自分たちの決定責任と子供の未来」「祖父母の考え」「世間体」

 

これらの重圧が親にのしかかってくる。

 

そんな親に「障害受容するしかないよ」とあっさりアドバイスするのは簡単なことであるが、それをすぐに受け入れるのは難しい。

 

長い長い苦悩の日々が続く。

 

この苦しんでいる時に、親の魂が鍛えられている。

 

我が子の障害を受け入れられないのは、障害者に対する差別や偏見がある証しでもある。

 

津久井やまゆり園で障害者19人が殺傷された犯人の動機は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在である」であった。

 

障害者への差別が頂点を極めた、悲惨な考え方である。

 

そんな考え方の片鱗が自分の中にもあることに気付く。

 

そしてそのことに驚愕しながら、魂が成長を始める。

 

その成長を信じて待つことができるカウンセラーでありたい。

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

10月10日

ふるかわひであき

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