ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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どんべんしょ 2

大人も唱える

 

「どんべんしょ せんきった」というような呪文は、なにも子供だけが使うものではない。

 

大人だって呪文を使う。

 

いや、むしろ大人が唱える呪文を聞いて、子供がそれを模倣しだしたと考えるほうが自然ではないだろうか。

 

うちの母親は、何か良くないことが起こったり、あるいは起こりそうなときは「やまし やまいけ かわし かわいけ」と唱えていた。

 

はて、「やまし」「かわし」とはいったい何なんだろう?

 

聞いてみると「やまし」とは「山師」のことで、江戸時代の「詐欺師」「ペテン師」のことを指すらしく、山師は人をだまし、その財産を根こそぎ奪い、だまされた人は、死ぬまでお金で苦労するという、いわば貧乏神(悪霊)の代表みたいなものだったらしい。

 

だから、「やましやまいけ」=「山師は山に行って、二度と私に近づくな」という意味の呪文となる

 

「かわし」は山師に対して、単に韻を踏んでいるだけであると推測される。

 

「やましやまいけ かわしかわいけ」と唱えて、むやみに人を信用してはいけない、油断してはいけないという、戒めのような効果があるのかもしれない。

 

また母親は、私が理路整然と物事の摂理を説明すると「やかましい!へんじょこんご へんじょこんご 言いなはんな!」と激しく抵抗した。

 

この意味を調べてみると、「へんじょこんご」というのは、「南無大師遍照金剛」のことであり、遍照金剛というのは、空海が唐へ行き、真言宗密教の修行を勤しんでいるときにつけられた名前で、大日如来を表す言葉でもある。

 

「南無大師遍照金剛」=「弘法大師空海に帰依します」と言う意味になる。

 

なぜ弘法大師が私の屁理屈を撃退する呪文になるのか・・・。

 

私が推測するに、真言宗には呪文のような言葉(真言)がたくさんあり、どこかで真言宗の人が唱える言葉を聞きかじり、その意味が分からない母親は、意味が分からない文脈すべてに「遍照金剛」という言葉をメタファーとして採用し、「遍照金剛」という意味も漢字もわからないので「へんじょこんご」という呪文のような言葉にして使用していたと思われる。

しかし、この「へんじょこんご」という言葉は、心地よいリズムを内包している。

 

「へんじょこんご〜へんじょこんご〜へんじょこんご〜へんじょこんご〜」と口ずさんでいると、なぜだか自然に体がリズムを刻みだす。

 

これは言葉に体が反応しているのかもしれない。

 

それから母親はもう一つ、強烈な呪文を唱えていた。

 

それは私の甥、つまり母親の初孫に唱えられた。

 

風呂上りに甥の体をバスタオルで拭きながら「チンチンブラブラ、チンチンブラブラソーセージ、ウー!」と、その小さなチンコを自分の親指と人差し指でつまむのだ。

 

甥はきゃっきゃっと喜んだ。

 

ある日、甥は幼稚園で裸になったときに、この呪文を大声で唱えたそうだ。

 

その情報は幼稚園の先生から甥の両親に知らされ、それを聞いた甥の両親は母親に激しく抗議した。

 

「そんなアホみたいな呪文教えて、ひでぼんみたいに顎がしゃくれたらどうすんの!」

 

とてもムカつく姉の予言は見事に的中し、甥はりっぱにしゃくれた。

 

私からすれば、そんなエピソードは可愛いものだ。

 

私はもっとえげつない目に遭っている。

 

講演会ではよく話しているので、聞きたい人は、コロナが収束して、チャンスがあれば講演会に来ていただきたい。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。今日のブログの合言葉は「チンチンブラブラ、チンチンブラブラソーセージ、ウー!」です。

10月12日

ふるかわひであき

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