ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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どんべんしょ 7

呪文と印のルーツ

 

「どんべんしょ」も「九字護身法」も、誰が始めたかのルーツなど、今さら調べようもない。

 

また、誰から始まっていようが、あまり興味もない。

 

もし、誰か呪文を始めた人間がいて、その人が開発者だとすれば、きっと名前と収益システムを構築しているだろう。

 

発明とか技術とか、人間が始めたものは「特許」なるものを申請し、それを他者が利用するのにお金が発生する。

 

別に間違ってはいないが、呪文やお祈りはそういった物質的利益の類ではなさそうだ。

 

呪文やお祈りを唱えるのに、誰も特許料など払わないし、請求もされない。

 

つまり、私が推測するに、呪文やお祈りには、人間のこざかしい知恵や分別を超えた何かがあるのだと思う。

 

人間が生み出したものではなく、人間が生まれながらに持っている特性だと思う。

 

呪文には、苦しみ、悲しみを乗り越える力があることの気配に気が付いたとき、人は自然に呪文を唱えだすのだろう。

 

このあたりになると、だんだん「あ、また古川がわけのわからないことを言い出している!」と、思う人もいるかもしれない。

 

大丈夫!もっとわけがわからなくなってきますから(笑)

 

とにかく、今、私が言いたいことは、人間は遠い昔から現在まで、ずっと呪文やお祈りを続けてきたし、きっとこの先の未来も、それを続けるに違いないということだ。

 

これはきっと、人間の知恵とか、損得勘定とか、合理的思考とは違うものだと思う。

 

呪文やお祈りで病気が治るのなら、医者などいらん!というのが合理的思考で、間違ってはいない。

 

呪文やお祈りなんて、非科学的だし、根拠もないし、続けたって意味がない。

 

なのに、人間は過去も未来も現在も呪文を唱え、お祈りを捧げる。

 

何故なんだろう?

 

この疑問に挑戦したい。

 

その答えの中に、生きとし生きる者の苦悩の解放があるかもしれないという、仮説を持っている。

 

まとめられたら、ご披露致しますので、コロナが収束するまでしばしお待ちくださいませ。

 

さて、話を呪文とお祈りに戻したい。

 

日本中、いや、世界中に様々な呪文が存在する。

 

そのことをいろいろ調べるのが、今の私のメインテーマ。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。命の謎に挑戦です。

10月17日

ふるかわひであき

 

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