ふるかわひであきが、日頃の出来事をただ淡々と耽々と語ります。ただ淡々と耽々と毎日続けるブログです。くじけた時も、淋しい時も、裏切られても、だまされても、いじめられても、泣かされても、平気な顔して続けます。ブログは歌とカウンセリングとSC便りを超えられるか・・
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どんべんしょ 37

呪いのどんべんしょ 23

 

研修の内容は難しすぎて、彼にはさっぱりわからなかったが、研修を終えた後、夕食までに時間があったので、中山さん達青年部のみんなと、近くにある砂浜に散歩に出かけた。

 

彼は目の前に広がる太平洋に釘付けになった。

 

彼は砂浜に大の字に寝転がり、波の音を聞きながら、でっかい青空を見た。

 

自分が空と海の間に溶けて行くような心地よさを感じた。

 

海風が彼の体を通り抜けて行った。

 

彼はおもむろに立ち上がり、応援歌を歌うように右手を振りながら歌った。

 

♬われはうみのこ しらなみの さわぐいそべの まつばらに けむりたなびく とまやこそ わがなつかしき すみかなれ♬

 

気持ちよさそうに歌を歌う彼に、青年部のみんなが驚き、感動した。

 

そして、みんなが思わず彼と一緒に歌いだした。

 

♬うみはひろいな おおきいな つきはのぼるし ひはしずむ♬

 

砂浜に教団青年部の歌声が高らかに聞こえた。

 

♬うみにおふねをうかばせて いってみたいな よそのくに♬

 

彼の歌は、青年部のみんなの仲間意識を強くした。

 

青年部のメンバーはみんな若いので、当然意見の合わない者同士も参加している。

 

彼の知らないところで、もめごともあったようだが、彼の素朴な歌声が、そんなわだかまりを消して行った。

 

夕食の時、彼のお膳にはみんなからの差し入れの魚や肉が山のように載せられた。

 

彼はそれを全部おいしそうに平らげた。

 

そんな食べ物の思い出も、彼の海の思い出に含まれていた。

 

とにかく、あの海に行くのだ。

 

京都駅にさえ行けば、あとは何とかなる。

 

あの海が分からなくても、海であればもう、どこでもいい。

 

早足でM駅に向かい、改札のところで、思わぬ人に声をかけられた。

 

中山さんだ。

 

中山「あら、久しぶり。福祉施設でがんばっているそうね。これから施設に行くの?」

 

彼「いいや、今日はお休みなので京都駅に出ます」

 

中山「そうなんだ。お休みだもんね。あ、私も早く行かないと遅刻しちゃうわ」

 

彼「あの、前に一緒に行った海はどこにありますか?」

 

中山「あぁ、懐かしいね。あれは静岡よ」

 

それを聞いた彼は、礼も言わず、単線の京都行き各駅停車に乗り込んだ。

 

京都駅に着いた彼は、切符売り場で、静岡までの切符が欲しいと駅員に告げた。

 

静岡のどこかと聞かれた彼は、海のあるところならどこでもいいと言った。

 

駅員は、熱海、三島、新富士、静岡、掛川、浜松、どこでも海はあるが、熱海なら海が駅から近いが、そこで良いかと聞いた。

 

彼に駅を選ぶ知識はないので、素直に「はい」と返事をした。

 

新幹線でも良いかと聞かれ、これも「はい」と答えた。

 

それなら、あと5分で到着する新幹線があると言われ、その切符を買った。

 

八条口から東海道新幹線のこだまに乗り込んだ彼は、ほとんど人が乗っていない自由席の窓際に座った。

 

ほどなく、彼を乗せた新幹線が京都駅を出発した。

 

窓の景色をぼんやり見ながら、彼は子供の頃のことをぼんやりと思い出していた。

 

小学校では勉強がまったくわからず、運動もまったくできないので、いつも同級生からいじめられていた。

 

家に帰れば帰ったで、いつも酒を飲んでいる父親に、わけもなくぶん殴られた。

 

母親もいつも父親に殴られていた。

 

母親を殴りながら、父親はいつも、「このキチガイ坊主は誰の子じゃ!ほんまのこと言うてみぃ、お前の働いていた店の主任とできてたんは知ってたんじゃ。あの男の子ぉやろ!」と毒づいた。

 

母親が、いくら違う、あんたの子ぉやと泣き叫んでも、父親は母親の髪の毛をつかみ上げ、馬乗りになって何度も殴りつけた。

 

彼の記憶の中の母親は、いつもあざだらけで、台所の隅で泣いていた。

 

本当に辛い毎日だった。

 

そんな彼の楽しみは、ラジオだった。

 

NHKラジオ深夜便を聞くことが、彼の唯一の楽しみだった。

 

中でも彼が好んで聞いていたのが、日本の歌、こころの歌コーナーだった。

 

飲んだくれの父親は、決まって酔いつぶれ、夜の9時には寝てしまう。

 

毎日パートと内職で疲れ果てていた母親も、10時には寝てしまう。

 

しんと寝静まった部屋で、ヘッドフォンを付けて、こっそりラジオを聞きながら、昼間に買い込んでおいたお菓子を食べている時が、彼の一番幸せな時間だった。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月16日

ふるかわひであき

 

 

どんべんしょ 36

呪いのどんべんしょ 22

 

翌日のお昼前に、お母さんから施設に電話があった。

 

お母さんによると、やはり彼は静岡にいたらしい。

 

私に殴られた翌朝、彼は何年か前に青年部の研修で行った海を見たいと思った。

 

京都市内には、山や川や寺はたくさんあるが、海はない。

 

その年、青年部の研修会に誘われた彼は、お題目の意味もよくわからないし、興味もなかったが、母親が熱心に唱えるし、青年部のみんなも彼に優しかったので、行くことにした。

 

彼は、そこで見た海に衝撃を受けた。

 

どこまでも広い。

 

どこまでも青い。

 

白い雲も美しい。

 

岩に当たる白い波しぶきもキラキラ輝いている。

 

カモメが気持ちよさそうに飛んでいる。

 

「あ〜、気持ちいい!あ〜気持ちいい!」と何度も深呼吸する彼に、青年部のみんなが笑った。

 

とにかくもう一度あの海を見たい。

 

あの綺麗な海を見ながら、思いっきり深呼吸をして、甘いものをいっぱい食べて、大好きな炭酸のジュースも思いっきり飲むのだ。

 

そしてでっかい海を見ながら、大好きな歌を歌うのだ。

 

そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。

 

施設に行くいつもの時間に家を出た彼は、送迎バスの停留所には行かず、M駅に向かった。

 

M駅に向かったものの、あの海がどこの海かわからなかった。

 

単なる遠足か修学旅行気分だった彼は、青年部のみんなが連れて行ってくれるままに、行動した。

 

新幹線に乗ったのだが、母親が持たせてくれた小遣いでお菓子をたくさん買って旅行かばんに入れ、そのことが嬉しくて、何度もかばんの中のお菓子を点検しているうちに夢中で電車に乗り込んだ。

 

お菓子に夢中だった彼には、自分が乗ったのが新幹線でも、蒸気機関車でも気にならなかった。

 

列車に乗った彼は、すぐにお菓子を食べ始めた。

 

甘いお菓子を食べると心が落ち着き、窓の外の景色を眺める余裕ができた。

 

どれくらい電車に乗っていたのだろう。

 

窓の外にでっかい山が見えた。

 

その山を見て、彼はなんだか心が震えた。

 

彼の隣に座っていた青年部の中山さんという女の人が「今日は富士山が奇麗に見えてるね」と彼に言った。

 

彼は生まれて初めて富士山を見た。

 

中山さんが自分のかばんの中からお菓子を出し、彼に勧めた。

 

彼は中山さんが差し出すチョコクッキーを嬉しそうに見つめた。

 

その頃から彼の血糖値は高く、検査の度に要検査になっていたのだが、彼に自覚症状はなく、母親もそんなに心配していなかった。

 

当然、中山さんも青年部の人もそのことを知らなかった。

 

彼は喜んでそれを受け取り、とても美味しそうに食べた。

 

中山さん「ほんまに美味しそうに食べるね。ほんならこれもあげよか?」

 

そう言って中山さんは彼に、自分の持っていたお菓子を次々にあげた。

 

彼はどのお菓子も嬉しそうに、美味しそうに食べた。

 

その様子をみた他の青年部の人も、次々にお菓子をくれた。

 

彼は幸せだった。

 

家では彼の母親が、お菓子を食べ過ぎる彼にいつもうるさく小言を言った。

 

しかしここでは、笑顔でみんなが大好物のお菓子をくれるし、ぐちぐちうるさい母親もいない。

 

目的の駅に着いた青年部一行は、団体が手配してくれたマイクロバスに乗り込み、研修場へ向かった。

 

その時もバスの窓から海が見えていたのだが、彼はお菓子に夢中で、海に気付かなかった。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月15日

ふるかわひであき

 

どんべんしょ 35

呪いのどんべんしょ 21

 

お母さんと二人でお題目を唱えていると、呼び鈴が鳴らされた。

 

もしかして彼が帰って来たのかと思い、お母さんと一緒に慌てて玄関に出てドアを開けた。

 

そこには、僕と同じくらいの年齢の中山という女性と、藤井という中年の男性がにこにこと微笑みながら立っていた。

 

二人はお母さんが信心している宗教団体に所属していて、来月の集会か何かの打ち合わせに来たようだ。

 

お母さんは二人を招き入れ、私と4人で和室に座った。

 

お母さんは私を二人に紹介し、今までの経緯を二人に説明した。

 

中山さん「え?彼なら、私、おとといに会いましたよ」

 

お母さん「え?どこでですか?」

 

中山さん「M駅の改札です。ちょうど私が改札を出た時に、彼が改札に入ってきたんです。それで私がどこに行くの?って聞いたら、京都駅に用事があるから行くんだって言ってました」

 

お母さん「え?京都駅ですか?」

 

僕「お母さん、彼はお金を持っているのですか?」

 

お母さん「はい、一万円くらいは持っていると思います」

 

藤井さん「そのとき彼は他に何か言ってなかった?」

 

中山さん「え〜と、そうですね・・・。どうだったかな・・・」

 

中山さんはその日の記憶の糸を懸命に手繰り寄せた。

 

中山さん「あ、確か彼が、前に一緒に行った青年部の研修道場はどこだったか聞いたので、静岡県だと教えてあげました」

 

お母さん「なんでそんなことを聞いたのでしょうね」

 

藤井さん「そう言えば、前に彼が集会に来たときに、そこで見た海の景色が素晴らしかったと言っていました」

 

それを聞いて僕は、団地の最上階で景色を見ながら、唱歌を歌っている彼を思い出した。

 

彼は何度も「あ〜、気持ちいいい」と言っていた。

 

奇麗な景色と甘いものは彼の大切なストレス解消法に違いない。

 

僕「きっとそこかもしれませんね。お母さん、警察に連絡して、静岡を探してもらいましょう」

 

お母さん「そうですね、今から行ってきます」

 

僕「それなら僕が送っていきます」

 

藤井さん「その前にうちの団体の静岡支部に知り合いがいるので、そこに何か情報がないか聞いてみますね。電話をお借りできますか?」

 

藤井さんが電話をしてくれた。

 

調べてみるから、ちょっと待っていて欲しいとのことだったので、その電話を受けてから警察に行くことにした。

 

しばらくすると、電話がかかってきた。

 

藤井さん「もしもし、どうでした?はい、はい・・・」

 

しばらく話をして、藤井さんは電話を切った。

 

藤井さん「今、支部のみんなに連絡を回したから、何かわかったらすぐに連絡してくれるそうです。地元の警察にも連絡してくれるそうです」

 

中山さん「私も今から青年部のみんなに呼び掛けて、彼の情報がないか聞いてみます。何かわかったらすぐに連絡しますね」

 

それから僕とお母さんは警察に行き、中山さんと藤井さんは帰って行った。

 

僕とお母さんの二人で彼を待っていた時の不安感がすこし和らいだ。

 

いや、和らいだというより、何か強い味方を手に入れたような、安心した気持になったのを覚えている。

 

人と人との繋がりと、お題目の力はもの凄いなと思った。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月14日

ふるかわひであき

どんべんしょ 34

呪いのどんべんしょ 20

 

会議を終えた僕は、すっかり落ち込んだ気持ちで、彼の住む団地に行った。

 

お母さんと一緒にリビングのテーブルで彼を待った。

 

警察からは何の連絡もなかった。

 

憔悴したお母さんは、頭を抱えてため息をついてばかりいた。

 

僕「彼を殴ったりしたのがいけなかったのかもしれません。すいませんでした」

 

お母さん「いえいえ、私を助けてくださるためだったのはよくわかっていますから、先生のせいではありません」

 

それ以上かける言葉がなかった。

 

待つこと以外に、もう僕たちにできることは何もなかった。

 

僕「もう無事を祈るしかないですね」

 

お母さんは両手を合わせた。

 

お母さん「先生、祈らせてもらってもいいですか?」

 

僕「はい、もちろんです。僕も一緒にお祈りします」

 

お母さん「ありがとうございます。実は私は昔から信心していましてね。そのお題目を唱えさせてもらってもかまいませんか?」

 

僕に異論はなかった。

 

お母さんは静かにお題目を唱え出した。

 

お母さん「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」

 

僕の頭の中に都津子の顔が浮かんできた。

 

お母さんに聞いてみると、やはり都津子と同じ宗派だった。

 

いじめられている時に、一生懸命お題目を唱える都津子と、息子の無事を必死で祈るお母さん。

 

もしも、このふたりにお題目や祈りがなかったら、いったいどうなるのだろう。

 

何も変わらないかもしれない。

 

実際、お題目を唱えずに生きている人も大勢いる。

 

僕だってそのひとりだ。

 

だけど、お題目を持っている人と、そうでない人には大きな違いがあるように思う。

 

どうして人は祈るのだろう・・・。

 

合理的な理由も科学的根拠も何もない。

 

人が信じてやまない科学や物理などの学問的な解決方法ではない。

 

日頃、人は宗教や占い、加持祈祷の類をバカにしたり、遠ざけたりする。

 

だけど、人間の知恵ですべてをやり尽くした後は、もう祈ることしか残っていないのではないだろうか・・・。

 

心理学的には心の安定に繋がります・・・なんて説明は、どこか空しい。

 

祈りを捧げる人間の姿を、愚かしいと思うようになったのは、いつの時代からだろう。

 

愚かしいと思う人間の数が増えれば増えるほど、苦しみの数も増えているように思う。

 

僕もお母さんと一緒に手を合わせ、お題目を唱えた。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月13日

ふるかわひであき

どんべんしょ 33

呪いのどんべんしょ 19

 

翌日の送迎バスに彼は乗っていなかった。

 

お母さんに電話すると、いつもの時間に出かけたということだった。

 

彼が今まで無断で休むことは一度もなかったので、すぐに探しに行くことにした。

 

5人の職員が手分けをして、彼の住む団地から送迎バスの乗り場、昨日見かけた河川敷公園や彼が唱歌を歌った団地の5階まで、午前中いっぱい探し回ったが、どこにもいなかった。

 

そのうち帰って来るだろうと、いったん5人の職員全員が施設に戻った。

 

しかし、夕方になっても彼は帰って来なかった。

 

担当の僕は夜の八時くらいまで、お母さんと一緒に彼の帰りを待ったが、彼は帰って来なかった。

 

園長から指示があり、今日はいったん引き上げて、明日まで待って、帰って来なかったら、警察に捜索願を出すことになった。

 

翌日も彼は帰って来なかった。

 

お母さんと一緒に警察に捜索願を出しに行った。

 

家出する前に、何かトラブルはなかったかと聞かれたので、僕とお母さんは正直にあの日のことを報告した。

 

担当の警官は何度もうなづきながら、書類を書き、すぐに手配すると言ってくれた。

 

警察を後にした僕はお母さんを家に送り届け、他の担当の子もいるので、いったん施設に戻った。

 

夕方に会議が開かれて、彼の状況を報告した。

 

いくら母親を殴り、椅子をぶつけられたとしても、障害者を何発も殴るのはどうなのか?という意見が出た。

 

これには中内さんと山野さんが猛烈に反論してくれた。

 

あの場合、あぁするしかなかったし、山野さんは、私がやるように指示を出したのだと証言してくれた。

 

もし、彼が自殺でもしたら、どうすればいいのか、という意見も出た。

 

緩やかに僕を攻撃していると思われるこの意見に、僕は黙るしかなかった。

 

思い起こせば、確かにあの時はあぁするしかなかった。

 

だけど、他に何か方法があったかもしれない。

 

あの時の僕は、ただひたすら彼を責めることしかしなかった。

 

誓約書まで書かせて、まるで鬼の首を取ったように、勝利者の気分でいた。

 

彼の気持ちなど、なにひとつ聞こうとはしなかった。

 

自分の中のありったけの正義感で、彼をとことん追いつめた。

 

その結果がこの行方不明。

 

もし、彼が自殺でもしたら、僕は自責の念に耐えられるだろうか。

 

いやいや、母親を殴り、糖尿病で命にも関わるのに、あれだけ糖分をとって、それを責めない方がおかしいじゃないか。

 

けど、どんな理由があっても・・・。

 

僕の中でいろんな考えが堂々巡りした。

 

今まで何度も喧嘩をしてきて、罪の意識など感じたこともなかったのに、今回はどうしてこんな気持ちになるのだろう。

 

自分に近しい人が突然いなくなる経験など、それまでしたことがなかった。

 

残されたものはただ心配し、おろおろし、最後は無事を祈るしかない。

 

その上、残されたものには「想像」という悪魔が憑りつく。

 

この悪魔は、良い思いは届けてくれない。

 

「妄想」「不安」「最悪の事態」「自責の念」「他者への責任転嫁」

 

悪魔がサイコロを振る度に、残された者の中に嫌な気持ちが広がる。

 

できることをすべて実行した後、待つものに残されているのは、ただ待つだけだった。

待っている間にも、想像という悪魔は、容赦なくサイコロを振り続けた。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月12日

ふるかわひであき

 

 

どんべんしょ 32

呪いのどんべんしょ 18

 

嘘をつき続ける彼に、僕は猛烈に腹が立った。

 

僕「ようそんだけ嘘ばっかりつけるな!そんな嘘ばっかりついてるから、自分の母親も平気で殴れるんじゃ」

 

彼「僕はお母さんなんか殴りません」

 

僕「はぁ、今ここで実際にあったことやど。ここにいるみんなが証人や。それでもしらばっくれるんか?」

 

彼「そんなん知りません。嘘ちゃいます」

 

僕「お母さんの頬っぺた見てみぃや。腫れてるやないけ!」

 

彼「そんなん言われても・・・」

 

話はいつまででも堂々巡りを続けた。

 

中内さんや山野さんがなだめたり、すかしたりしても、彼は知らぬ存ぜぬを貫いた。

 

母親「この子は昔からこうなんです。急に人が変わったように暴れだして、しばらくしたら、まるで嘘みたいに大人しく良い子になって・・・。落ち着いてから、なんであんなことをしたの?と聞いたら、その時のことは何も覚えてないって嘘をつくんです」

 

山野「戦争中は、悲惨な状況の戦地から帰ってきた兵隊さんの中には、戦場のことを何にも思い出せないて言う人が結構やはったけど、この子は戦争になんか行ってへんしな」

 

母親「はい。精神科のお医者さんにも診てもらったことがあるんですが、知恵遅れの子は記憶力が低い子も多いから、仕方ないと言われまして。親が甘やかすのも原因だと言われました」

 

確かにお母さんは、彼を少し甘やかすところがある。

 

しかし、普段の彼の行動や言動を見ていた僕は、彼の記憶力は本当に低いのかなぁと疑問に思った。

 

さっき団地の上で、難しい歌詞の、昔の唱歌を何も見ないで歌っていたが、それと記憶力は別物なのだろうか・・・。

 

今、当時を冷静に振り返れば、彼は解離性同一性障害(多重人格)の可能性が高かったと思う。

 

彼の父親は、彼にひどい虐待を加えていたようだ。

 

そのことで、彼の父親と母親はずいぶん前に離婚していた。

 

虐待を受けていた成育歴から考えても、解離性同一性障害の疑いは強い。

 

しかし、まだ20代の当時の僕には、それだけの見立てをする能力も経験もなかったし、ドクターの言うことを信じる他になかった。

 

僕たちが出した答えは、彼が自分を守るために嘘をついているということだった。

 

一度「嘘つき」という枠組みをはめてしまうと、もうそういう目でしか彼を見れなくなった。

 

そこから2時間、僕たちは彼に説教を続けた。

 

彼は素直に、どんな約束にも「はい」と答えた。

 

とりあえず、彼と3つの約束を交わした。

 

〇楡澆竜△蠅蓮△母さんにバス停まで迎えに来てもらって、一緒に家に帰ること。

 

⊃事指導をきちんと受けて、絶対、間食などはしないこと。

 

今度お母さんに暴力を振るったら、警察に逮捕してもらうこと。

 

念のために僕たちは彼に、この3つの内容を書いた誓約書を書かせた。

 

こうすれば、彼が「そんな約束は知らない」なんて、嘘はつけない。

 

誓約書さえあれば、もう彼が嘘をつくことはできないのだ。

 

覚えていないなどと言う言い訳は、もうできないのだ。

 

それもこれも、彼を糖尿病から守るためと、お母さんを暴力から守るためだ。

 

帰り際に、お母さんが嬉しそうに何度も僕たちにお礼を言った。

 

彼も何かが吹っ切れたように、笑顔で僕たちを見送ってくれた。

 

僕たちは凄く良いことをしたという満足感で満たされた。

人の役に立つということは、こんなにも気持ちの良いことなのか。

 

なにもかも上手く事が運んだ。

 

翌日の朝、彼が行方不明にさえならなかったら・・・。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月11日

ふるかわひであき

どんべんしょ 31

呪いのどんべんしょ 17

 

僕が呼び鈴を押そうとすると、中から女性の「助けて〜、やめて〜!」という悲鳴が聞こえてきた。

 

声の主は間違いなく彼のお母さんだ。

 

何度も家庭訪問をして、何度もお母さんと話をしているので間違いない。

 

思わず僕はドアを開けて中に飛び込んだ。

 

鍵が掛けられていなかったのは幸いだった。

 

玄関を入るとすぐにリビング。

 

その床の上で、母親に馬乗りになって髪の毛をつかみ上げ、何度も母親に平手打ちをする彼がいた。

 

僕が大声で制止しても、興奮した彼の暴力は治まらない。

 

彼は何度も母親に「お前が悪い!お前が悪い!お前が悪い!お前が悪い!」と罵声を浴びせかけ、暴力を続けた。

 

僕は看護婦の山野さんに、「やっちゃってもいいですか?」とお伺いを立てると、山野さんは「私が責任取るから、はよやり!」と叫んだ。

 

僕が彼の襟首をつかみ上げ、母親から引き離すと、興奮冷めやらぬ彼はリビングの椅子を振り上げて僕に投げつけた。

 

椅子は僕の肩に当たり、一瞬よろめいた僕は、すぐに態勢を立て直し、彼の顔面を拳で3発殴りつけた。

 

彼の鼻から血が噴き出て、彼は床に倒れた。

 

すぐに彼は「助けて下さい!助けて下さい!もうしません!」と土下座をして謝った。

 

こんな時に看護婦さんが一緒にいてくれるのは本当に助かる。

 

山野さんはテキパキと母親の様子を見て、中内さんにタオルを冷やして、赤く腫れたお母さんの頬っぺたに当てるように指示を出し、彼の鼻の穴にティッシュを丸めてねじこんだ。

 

山野さんに鼻血が出るほど殴りつけたことを謝ると、山野さんは「母親を殴るような子供は、あばらの一本でも折ってやったらええのや」と彼を睨みつけた。

 

山野さんに、お母さんと彼の怪我の様子を聞くと、「うちが第二次大戦の終わりに従軍看護婦として戦地に行ったときは、足が吹き飛んだり、目玉が飛び出したりした日本兵をたくさん看て来てるから、こんなもんは怪我のうちにもはいらへんわ、蚊に刺されたようなもんや。2〜3日もしたら腫れも治まるわ」と言って、カラカラと笑った。

 

僕はこういう肝っ玉の据わった女性が嫌いではない。

 

リビングの隣にある和室に僕たちは座った。

 

僕「お母さん、いったい何があったんですか?」

 

母親「はい、家に帰ってきたらいきなり、『なんであんな施設に入れたんや!俺をあんなキチガイどもと一緒にすんな!』て言いながら、いきなり私を押し倒してあの有様です」

 

確かに彼の能力からすれば、最重度の知的障害者の人たちに差別的な考えを持つことは考えられるし、実際、それを理由に施設を辞める軽度の知的障害者を何人も見てきている。

 

しかし、彼は重度や最重度の利用者に優しかった。

 

まるで小さな子供をあやすように、よく面倒も見ていた。

 

僕がそのことを指摘すると、彼は「すんません、すんません」と、何度も僕に謝った。

 

僕「今日、送迎バス降りてからどうしてたん?」

 

彼「まっすぐにうちに帰りました」

 

僕「ほんまか?」

 

彼「ほんまです。嘘なんか言いません」

 

僕「絶対ほんまか?」

 

彼「はい、絶対ほんまです。嘘はつきません」

 

僕は送迎バスを降りてからの彼の行動を全部伝えた。

 

彼「僕はそんなんしてません。そんなん、証拠ありますか」

 

僕「証拠てか、証人がおるで」

彼「誰ですか?」

 

僕「俺やがな、俺がずっと君を尾行してたんや」

 

彼「僕がそんなんしたんですか?」

 

僕「はぁ?俺を疑うんか?」

 

彼「僕はそんなんしてません」

 

僕「はぁ?ほんなら俺が嘘ついてるて言うんか」

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月10日

ふるかわひであき

 

どんべんしょ 30

呪いのどんべんしょ 16

 

川沿いの道を歩き出した彼は、さっきまでの不機嫌な態度から一変し、実に愉快そうに歩いた。

 

たまに空を見上げては、ホッホ〜!と言って笑い、鳩が飛んでいたら、鳩や!鳩や!と指を指し、一人で笑いながら叫んでいた。

 

さっきまでの彼とはまるで別人のようだ。

 

そんな彼を見ていると、なんだかこっちも気持ちが明るくなる。

 

河川敷のグラウンドを通り過ぎると、大きな団地に出る。

 

とても大きな団地で、公団住宅と市営住宅がたくさん並んでいた。

 

団地の中は人工的に区切られ、とてもわかりやすい構造だが、どれも同じ形、同じ道幅、同じ区画整備をされているので、知らない者が迷い込んだら迷子になりそうだ。

 

それを防ぐためなのかどうかわからないが、団地の壁にはいろんな動物や植物、昆虫の絵が大きく書かれており、子供や初めて団地を訪れる人にとっては、有難い目印となる。

 

「〜街区の〜棟の〜号室です。どれも同じような建物ばかりですのでわかりにくいのですが、棟の外壁に大きくトンボが描いてありますから、それを目印に来てくださいね」という具合だろう。

 

彼は複雑な団地の中を、まるで自分の家の庭のように歩き、団地の一番端の高台にある市営住宅の階段を上がって行った。

 

階段は一つしかない。

 

もし、彼が引き返してきて鉢合わせしたら、僕が後をつけていたことがばれてしまう。

 

どうしようか迷ったが、ばれたらばれた時だと思い、彼に気付かれないようにそっと後ろから階段を上った。

 

最上階の5階まで上がると、彼は踊り場の手すりに手をかけて、嬉しそうに景色を見まわした。

 

僕はそれを4階の階段の隅から、彼に見えないように注意深く観察した。

 

彼は満足そうに何度も「ふ〜、気持ちいい。ふ〜、気持ちいい」とつぶやいた。

 

しばらくすると、彼は歌を歌いだした。

 

♬「ふけゆく あきのよ たびのそらの わびしきおもいに ひとりなやむ こいしや ふるさと なつかしちちはは ゆめじに たどるは さとのいえじ」

 

♬「うのはなの におうかきねに ほとどぎす はやもきなきて しのびねもらす なつはきぬ」

 

僕は、彼が難しい歌詞を完璧に覚えていたことに驚いた。

 

決して上手ではないが、彼は本当に気持ちよさそうに歌った。

 

彼は「あ〜、気持ちいい!あ〜気持ちいい!ホ〜!ホ〜!」と言いながら大きく二度背伸びをしたあと、いきなり階段を降り始めた。

 

僕はあわてて1階まで階段をかけ下りて、団地の裏に隠れた。

 

彼は僕に気付くことなく、まっすぐに自分の家に向かった。

 

バスを降りてから、まるで計ったように、ぴったりと二時間後に、彼は自分の住む団地に着いた。

 

彼は腕時計などを持っていないので、その時間の正確さに驚いた。

 

三階にある彼が住む部屋に入るのを確認した僕は、すぐに施設に電話をして、園長に事情を話した。

 

園長は、それは彼の命に関わることなので、今から栄養士と看護婦をそこに向かわせて、個別にもう一度、彼に栄養指導をするから、担当の君も一緒に立ち会うようにと指示を出した。

 

しばらくすると、施設の車を栄養士の中内さんが運転し、看護婦の山根さんを乗せてやってきた。

 

中内さんは僕と同期で2歳年下の22歳。山根さんは公立の病院の元婦長さんで、定年退職後、うちの施設に来てくれた。

 

中内「事情は園長先生に聞きました。彼はえらいことしてたんやね」

 

山根「どんだけ飲み食いしてたの?」

 

僕「はい、コーラ1リットル、チョコレート、ポテトチップス、あんぱんです」

 

山根「そらあかんわ。あの子の血糖値考えたら自殺行為やわ」

 

僕「僕もそう思います。命に関わることなので、僕もちゃんと指導します」

 

使命に燃えた僕たち三人は鼻息を荒くして、彼の部屋の前に立った。

 

(明日に続く・・・)

 

今日もブログに来てくれてありがとう。

11月9日

ふるかわひであき

どんべんしょ 29

呪いのどんべんしょ 15

 

川が見えるベンチに座った彼は、白いレジ袋からコーラを取り出し、ゴボゴボとラッパ飲みした。

 

見事な飲みっぷりで、一気にボトルの三分の一ほどが空になった。

 

少し離れた所からでも聞こえるくらい、ゲボ〜と大きなゲップをした。

 

次に彼は自分の両足の太ももを拳で何度も叩きながら「ボケ!ボケ!ボケ!ボケ!」と大声で叫んだ。

 

明らかに興奮しだした彼は、足元にある大きな石を両手で持ち上げ、次々に川に投げ入れた。

 

ボシャ〜ン、ボシャ〜ンという大きな音を立てて、石は川に沈んで行った。

 

それを見ながら、また彼は「ボケ!ボケ!ボケ!ボケ!」と叫び、「偉そうに言うな!偉そうに言うな!偉そうに言うな!」と叫んだ。

 

当然だが、不気味な彼の周りには誰も近寄らなかった。

 

それから彼はチョコレートの箱を破るように開けて、中のチョコレートをバリバリを食べた。

 

そしてまた「ボケ!ボケ!ボケ!ボケ!」と叫んだ。

 

そして彼はあんぱんの袋を破り、中のあんぱんを大きな口を開けて三口ほどでたいらげ、またコーラのふたを開け、ゴボゴボと飲んだ。

 

また彼は大きな音でゲボ〜とゲップをして、足元にある大きな石を両手で持ち上げ、次々に川に投げ入れた。

 

石はまた大きな音を立てて川に沈んだ。

 

彼は両手で拳を作り、うー、うー、うー、うーと、怒り狂った野良犬のようにうなり声をあげた。

 

「くそ〜、くそ〜、くそ〜、くそ〜」と彼は悔しそうに何度も叫んだ。

 

それが済むと、今度はポテトチップスの袋をバリバリと破り捨て、中のポテトチップスをわしづかみにして、口の中に放り込んだ。

 

その後、足元にある小石や砂利を両足でどんどん川に蹴り入れた。

「ボケ!ボケ!ボケ!ボケ!」

 

再びベンチに座ると、残りのポテトチップスを全部食べ、残ったコーラを全部飲み干した。

 

またゲボ〜と大きなゲップをした。

 

彼の異様な雰囲気に、何となく声を掛けられなかった僕は、もうしばらく彼を観察することにした。

 

バスを降りてから40分くらい経過している。

 

残りの1時間20分くらいを、どうやって彼が過ごしているのか、少なからず興味もあった。

 

まるで探偵になったような気分で、ちょっとワクワクしたのを覚えている。

 

ベンチから立ち上がった彼は、レジ袋にゴミを入れ、近くのごみ箱に投げ入れた。

 

それから彼は早足で川沿いの道を歩き出した。

 

(明日に続く・・・)

 

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11月8日

ふるかわひであき

どんべんしょ 28

呪いのどんべんしょ 14

 

都津子の事件から3年後、僕は大谷大学に入学し、仏様との強烈なご縁を頂いた。

 

20歳になった僕たちは、無自覚のまま選挙権を持った。

 

選挙の度に都津子は熱心に同級生を訪ねて来て、自分の所属する宗教団体関係の政党に票を入れてくれるように頼み込んだ。

 

そんな都津子を批判する同級生もいたが、都津子が熱心に信心するのは、なにも選挙前だけでないことを、僕も京平もよく知っていたので、何も気にならなかった。

 

ただ、僕も京平も政治には何の興味もなかったので、選挙に足を運んだことなどなかった。

 

大学を卒業して、知的障害者施設に勤めた僕は、毎日じゅんちゃんという女の子に手を焼きながらも、カウンセラーになるべく、毎日頑張っていた。

 

僕の担当したN君は28歳。軽度の知的障害があった。

 

かなり難しい計算もできるし、丁寧な敬語も使える。

 

挨拶をする時は腰をほぼ直角に曲げ、「おはようございます」「さようなら」と言い、まるで軍隊のような礼儀正しさだった。

 

その礼儀正しさを見習うべく、誰もが彼に敬意を払った。

 

すぐにでも就職できそうな感じだが、重い糖尿病を患っていて、自己健康管理がまるでできなかった。

 

そのために施設で健康指導と生活訓練を受けることになり、僕が担当になった。

 

彼はとにかく甘いものに目がなかった。

 

血糖値は通常80mg/dl〜99mg/dだが、彼は200mgを超えていた。

 

そのため、血糖値を下げるインシュリンの注射を毎日注射しなければならないのだが、彼はすぐに注射をするのを忘れた。

 

仕方ないので担当の僕がインシュリン注射の管理をして、毎日忘れないように注射をしてもらった。

 

しかし、毎日注射をしても、全く血糖値は下がらなかった。

 

彼の隣にいると、何となく甘い匂いがした。

 

彼が施設の山の中で立ちしょんべんをすると、いつのまにかアリがその尿の周りに集まってきた。

 

病院の付き添いも職員の大事な仕事なので、付き添いの時に僕はインシュリンの量が少ないのではないか・・・

と思い、ドクターに、「一度に二本注射してはどうか」と提案すると、ドクターは、「無茶言うたらあかん」と笑った。

 

ドクターは、どう考えても食事療法の食べ物以外で、糖分を摂取しているとしか考えられないと言った。

 

しかし、施設では栄養士と看護師、そして僕が厳しく見張っていたので、施設で糖分を摂取することは不可能だった。

 

家に帰ってからは、お母さんがきちんと食事管理されていたので、その心配もない。

 

お母さんといろいろ話しながら考えていくうちに、送迎バスを降りてから、家に帰るまでに2時間のロスがあることに気付いた。

 

何かを食べているとしたら、この時間帯しか考えられない。

 

本人に聞いても、そんなことはしていないと言うばかりだった。

 

そこである日、僕は送迎バスを降りたあとの彼を、後ろからこっそり付いて行った。

 

彼は家とは逆の方向に早足で歩いて行った。

 

大通りに面したスーパーに入った彼は、1リッターのコカ・コーラとチョコレート、ポテトチップス、あんぱんを買って、そのまま大きな川のほとりにある、河川敷公園に向かった。

 

(明日に続く・・・)

 

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11月7日

ふるかわひであき